■まえがき

 

■創業者「岩崎令子」のこと

 

■あとがき・鈴の音、今も。

 

 

■まえがき

いつもご贔屓いただきましてありがとうございます。当館館主の向井でございます。

私の大叔母にあたります岩崎令子が、当館の前身「旅館・鈴」を開業いたしましてから、まもなく半世紀が経とうとしております。

その跡を、令子の甥にあたります私の父、向井源蔵が引継ぎ、遠い将来には私が託される可能性もあると言われながらも、まだまだ先の話と思っておりました。

ところが、その父が前触れ無く急逝、私のような若輩者に、ホテル経営という役割が回って参りました。
私がまだ大学生、卒業まであと4ヶ月、という時でございます。

思いがけない父の死と、社長就任という大きな出来事に直面し、最初は正直、戸惑うことばかりでした。
それでも、今日なんとか勤まっておりますのは、ひとえに、創業以来営々と築き上げられてきた、お客様からのご支持、ご信頼にあるものと存じます。

これからも、創業の心を大切にし、お客様からより一層のご信頼を賜れるよう、スタッフ一同無我夢中で精進して参りたいと考えております。どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。


■創業者「岩崎令子」のこと

私が跡を継がせていただいた「高知グランドホテル鈴」の前身は、昭和33年、高知駅近くの一角に建てられた小さな旅館でした。

その名を「旅館・鈴」と言いました。創業したのは、私の大叔母にあたる岩崎令子でした。

令子のことは、その半生記「はちきん母さん一代記」(昭和62年・講談社刊)にも述べられていますので、かいつまんでご紹介いたします。

令子は、明治44年、高知県でも愛媛県境に接する大川村で、よろずや「向井商店」の12人兄弟の一人として生まれました。

令子は長じて隣家の末子で軍人の、岩崎信道に嫁ぎました。
ここで二人の男の子をもうけたのですが、長男が3歳の時、脳性小児麻痺に罹患、知的障害を持つ身となってしまいます。

その後、太平洋戦争で夫が戦死、次男の病死と重なる不幸に襲われた令子は、終戦後の一時、子の手を引きながら死に場所を探してさまようまでに、精神的に追い詰められてしまいました。

しかし、「この子のためにも二人で生きていこう」と思い直し、教職に就くものの肺結核を発病。休職中の生活費を工面するために裁縫の内職を始めます。

やがて、教育のため身よりのない高知市内に転居、洋裁業を本職にしようと「レイ洋裁研究所」を開店しました。
そこで出会った方々の暖かいご配慮と、寝る間を惜しんでの努力の結果、50余名のお針子さんを抱え、高知大丸の指定工場となるまでに育て上げます。

その傍らで、令子は高知県遺族会、県精神薄弱者育成会の活動を先頭に立って積極的に励みました。(後に、その功績を認められ、藍綬褒章、勲五等瑞宝章を授かりました)

旅館業を始めたのも、障害を持つ子といっしょに働き、お客様から感謝して頂ける仕事をしたい、という思いからでした。

その後、折からの観光ブームと、お客様のご支持を頼りに、女手ひとつで現在の「鈴」を築き上げたのでした。

■あとがき・鈴の音、今も。

思いがけなくも短かった父の代を経て、これほど重い物語を持つ事業を引き継ぐのは、若い私には荷が過ぎる気もいたします。

「三代目社長物語」とは題してございますが、実はまだ始まったばかり。といいますよりも、これからお客様、みなさまのお力をお借りして、実りある物語を作っていかなくてはならないと、改めて自覚している段階でございます。

令子の自叙伝は、絶版とはなりましたが、ホテルのロビーには常備してございます。お泊りの際、ご興味がございましたらお手に取っていただき、その創業の「心」を今の「心」と出来ておりますかどうか、是非ともご吟味頂きたいと思います。

もし至らぬ点がございましたら、ご遠慮なくご叱責下さい。
皆様のお越しを、心よりお待ち申し上げております。