| ■創業者「岩崎令子」のこと
私が跡を継がせていただいた「高知グランドホテル鈴」の前身は、昭和33年、高知駅近くの一角に建てられた小さな旅館でした。
その名を「旅館・鈴」と言いました。創業したのは、私の大叔母にあたる岩崎令子でした。
令子のことは、その半生記「はちきん母さん一代記」(昭和62年・講談社刊)にも述べられていますので、かいつまんでご紹介いたします。
令子は、明治44年、高知県でも愛媛県境に接する大川村で、よろずや「向井商店」の12人兄弟の一人として生まれました。
令子は長じて隣家の末子で軍人の、岩崎信道に嫁ぎました。
ここで二人の男の子をもうけたのですが、長男が3歳の時、脳性小児麻痺に罹患、知的障害を持つ身となってしまいます。
その後、太平洋戦争で夫が戦死、次男の病死と重なる不幸に襲われた令子は、終戦後の一時、子の手を引きながら死に場所を探してさまようまでに、精神的に追い詰められてしまいました。
しかし、「この子のためにも二人で生きていこう」と思い直し、教職に就くものの肺結核を発病。休職中の生活費を工面するために裁縫の内職を始めます。
やがて、教育のため身よりのない高知市内に転居、洋裁業を本職にしようと「レイ洋裁研究所」を開店しました。
そこで出会った方々の暖かいご配慮と、寝る間を惜しんでの努力の結果、50余名のお針子さんを抱え、高知大丸の指定工場となるまでに育て上げます。
その傍らで、令子は高知県遺族会、県精神薄弱者育成会の活動を先頭に立って積極的に励みました。(後に、その功績を認められ、藍綬褒章、勲五等瑞宝章を授かりました)
旅館業を始めたのも、障害を持つ子といっしょに働き、お客様から感謝して頂ける仕事をしたい、という思いからでした。
その後、折からの観光ブームと、お客様のご支持を頼りに、女手ひとつで現在の「鈴」を築き上げたのでした。
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